― 山城から探る佐田町の戦国時代 ―
島根県立八雲立つ風土記の丘の高屋茂男氏による「山城から探る佐田町の戦国時代」と題した講演会が開催されました。会場には、佐田町から研修会として参加された方を含め、120名の超満員となり、関心の高さがうかがえました。
最初に、山城の大まかな構造について話がありました。山城とは中世の築城形式の一種で、山地を利用した城のことです。時代とともに変化があり、山頂に主郭を置いただけの単郭式のものから、尾根に階段状に副郭を並べ、土塁・空堀を築き、山麓の居館まで連結させた複雑なものまであり、山城の機能を知るには、踏査により縄張り図を作成することが重要との説明がありました。
佐田町に所在する山城では、現在の目田森林公園内に位置する高櫓城には主郭、副郭のほか、土塁、堀切跡なども確認され、規模も大きく、最大の拠点として位置づけられるとのことです。その他、伊秩城、竜体谷城など、街道や川を見通せる合流点を中心とした山頂に築かれ、畝上空堀群、連続堀切が多く確認されていることが佐田町の山城の特徴と言えます。
これらのことから、長く戦乱が続く戦国時代、石見銀山の利権などとも相まって、旧国境に位置する佐田町周辺では、軍事的緊張が特に強かった地域だったことがうかがえるとの話がありました。話を聴き、改めて山城の魅力を再発見できました。